野球部補欠時代に憧れてた女子マネに10年越しに中出しを決めた・・・・・

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俺は高校球児だった。
高校は、甲子園にも何回か甲子園に行ったことがあり、県内でも「強豪校」的なところに位置していた学校だった。

俺たちが入学したとき、女子マネージャーが誕生した。
それまでは、マネージャーを置いていなかったが、次第に増加していた部員数に対応するため、また、女子生徒からマネージャーを志願する子が出たため、女子マネージャーを置くことになったのだという。

初代のマネージャーになったのは、「みどり」という女子だった。
自身も小学生のときに少年野球チームでやっていたということで、高校野球のマネージャーをやることが夢だったのだという。

「紅一点」ということで、野球部の中で、チヤホヤされるかと思いきや。
そんなことはなかった。
野球部員は、限られたベンチ入りの枠をめぐってしのぎを削るのだから、マネージャーがいようがいまいが、それが女子だろうが何だろうが、関係ない。
無我夢中で実力をつけて、監督にアピールするのが、俺たちの目下の課題だった。

3年生から1年生まで野球部員は全部で100人近くおり、中学時代、部活の野球部でそこそこ活躍していた俺だったが、硬式野球の全国レベルで結果を出してきた奴らもたくさんおり、その実力差を日々、見せつけられる思いだった。

俺は、最初のほうこそ、練習試合にも出してもらえたが、凡打が続き、守備でもエラーを2個、3個すると、次第に控えに回るようになり、やがてベンチからも出されて、グラウンド整理役員とかに回されるようになった。

入学して最初の夏の県大会、俺は、用具係となった。
その時、マネージャーはみどり一人で、かなり忙しそうだった。
練習が終わった後、みどりが部室に残って、ほつれた硬球の糸をほどいて、縫い合わせている場にたまたま遭遇してから、俺はそれを手伝ったり、練習の時も飲料水をいっしょに運んだり、スコアの整理を手伝ったりしてあげるようになった。

みどりは俺とは違うクラスだったが、「頭がいい」との評判で、成績も優秀そうだった。
ある時、俺は、苦手な数学の問題をみどりに訊いたところ、スラスラと答えてくれ、それ以来、俺は、空き時間にみどりに勉強も教えてもらうこともあった。

1年生の中でも、夏の大会からベンチ入りしたやつや、監督から個別に指導を受けているやつもいた。
俺は彼らを、羨望と嫉妬のまなざしで見ていたが、そんな時、みどりから手紙をもらった。
「いつも陰で輝いている××君に元気をもらってるよ。努力はむだじゃないから」
手紙にそう書いてあった。

俺は、そのころから、みどりに特別な気持ちを抱き始めていた。
みどりに喜んでもらおうと、全体練習が終わっても素振りをやり続け、家まで一駅分を走って帰っていた。

1年の夏が終わり、秋を迎えたが、俺はベンチ入りを漏れた。
続く、2年の春も、夏も同じだった。俺は、スタンドから同級生や後輩の活躍を応援することになった。
それでも、時々、マネージャーのみどりがかけてくれる温かい励まし、笑顔が、俺の元気のもとになっていた。

そして最後の学年。
3年の春、そして最後の夏も、俺はベンチ入りを果たせなかった。
しかし、夏、チームは甲子園に行くことができた。
「奇跡」と言われたが、俺はそうは思わなかった。
俺たちは死に物狂いで頑張ったからだ。
そして何より、マネージャーのみどりが、誰も見ていないところで、甲子園出場のため、仲間のために頑張っていたからだ。

甲子園では結果は出せなかったが、俺たちは完全燃焼した。
甲子園後の退部のとき、俺は心を決めていた。
みどりにコクろうと。

退部の日。
俺は密かにみどりへのプレゼントを買い、カバンにしのばせた。
部の全体会で3年生が挨拶した。
みどりもマネージャーとして2年半の思い出を話しながら、号泣していた。
胸が締め付けられた。
監督の言葉をいただいて解散となった。

いよいよだ。
みどりにコクろう。
俺はプレゼントの入ったバッグを手にして機会をうかがっていた。
その時、セカンドのレギュラーだったSがポロッと言った。
「あさってから、Fとみどり、極秘で温泉行くらしい」
俺は固まった。

「F」とは、プロ野球のスカウトも注目していた、エースでクリーンアップを打っていた、チームの中心軸。
“え? Fと? みどりが?”
俺の頭の中は真っ白になった。

マネージャーのみどりは、”こっち側”だと思っていた。
試合に出られなくとも、スポットライトを浴びて試合に出るやつらのサポートに徹する側。
しかし、俺の知らないところで、みどりは、チームを甲子園に導いたFと付き合っていたというのだ。
俺は凹みに凹んだ。

卒業からちょうど10年後。
野球部の同窓会があって、幹事になった俺は、一人ひとりと連絡をとるなか、みどりにも連絡した。
高校卒業後、大学を経て、社会人野球チームに入ったFとみどりは結婚した。

しかし、結婚から3年後、Fは肩のケガのために野球を引退することになり、それ以降、酒と女に溺れ、自堕落な生活に落ちて行ったという。
会社も辞め、家にこもって酒浸りの日々とのこと。
そんな時期に、俺はみどりと再会したのだった。

洋品店で働きながら、家計を支え、幼い息子を育てているというみどり。
俺はそれまでの大変な経緯を聴き、みどりを食事に誘った。
10年ぶりに会うみどり。
まったく変わっていないと思った。
いやむしろ、いろんな試練を乗り越えて、さらに優しく、深くなったと思った。

酒の勢いを借りて俺は、積年の想いを口にした。
「本当は好きだった。Fに取られて悔しかった」と。
みどりは黙って聴いていた。

店を出て、タクシーに乗り、駅に向かった。
駅に近づいたころ、みどりが運転手に「やっぱり、行き先変更します」と言って、別のルートを指示した。

数分後、カラオケボックスに着いた。
みどりに導かれるままにボックスの部屋に。
ソファーに腰を下ろし、電話で飲み物を注文すると、みどりが俺に抱きついてきた。
俺はいちおう驚いたが、半分そういう展開を予期していた。

店員が飲み物を持ってきたときも、俺たちはキスし続けていた。
学生のアルバイトっぽい店員がドギマギしながら出て行った。
みどりの体をさすりながら、「俺、ほんと、好きだったよ。野球部最後のとき、コクろうと思っていた」と言うと、みどりも「ごめん。私も××君のこと好きだった。でも、最後の夏、県大会決勝の前日にFに告白されて。チームのためにって思って、つい……」と。

BGMが流れる室内で、俺とみどりはキスを続け、互いの体を触り合った。みどりのシャツの中に手を入れ、ブラをずらして触ると、乳首が固くなっていた。
「バイトの子たちに、監視カメラで視られてないかな」と言うと、みどりは「かまわないから」と。

俺は、好きで好きでたまらなかったみどりとの時間を、一瞬たりとも無駄にしたくないとの思いだった。
ソファーに押し倒し、あの当時、何度も想像したおっぱいに吸いつき、固くなった乳首を夢中で舐めた。

「舐めたかったよ」と言うと、「舐められたかった」とみどり。
その言葉が「その場しのぎ」だったら嫌だなと思い、よけいに俺のことを忘れられなくしてやろうと、懸命に舐めた。
みどりはヌルヌルに感じていた。

Fとは、結婚後、次第に夫婦生活はなくなっていったのだという。
みどりの下半身を裸にし、匂いたつみどりのマンコを舐めた。
ここも何度も想像したところだ。
しかし、当時のイメージとは異なり、みどりのマンコはとめどなく汁をあふれさせ、俺の顔を汚すようにパコパコと腰を打ちつけてきた。
俺の顔はみどりのマン汁まみれとなった。

ガラス越しに店員やほかの客に見られるかもしれなかった。
しかし、構わなかった。
俺は、甲子園投手の美人妻を組み敷き、生で肉棒を出し入れしてやっている。

あの当時、テレビのインタビュアーにもマイクを向けられ、プロのスカウトからもコメントをもらっていたFが手に入れた最高の女を、今、一度もベンチ入りできなかった俺が、奪い取って、アンアン感じさせている。
俺は、ある意味、「甲子園」と同等の価値のあるものを手に入れたのだろうか。

「外に出したほうがいいよね?」
「いい、中でいいよ。中に来て。中にちょうだい」
あの時のマドンナ。
甲子園のベンチ前で、サラサラした髪をなびかせて、颯爽と輝いていたみどりに、今、中出ししようとしている。

俺は、溶けてなくなりそうな感覚を覚えながら、腰使いをいよいよ速めていき、やがてみどりの中にぶちまけた。

それ以来、みどりとは会っていない。
ただ、夏がやってくると、どうしても思い出してしまうのだ。

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